巡礼に勤しんでおります。
という程 やってないかもだけどw
過去の私と比較すると やってる方だ。
過去の私は…
「巡礼する意味がわからん…」と好まなかった
「先生がやるからやるか…」
「基本が詰まってると言われるからやるか」
というレベルで
先生に付いていくを決めた!からやる(か…😓)という具合(笑)
あちゃー 恥ずかしいですねぇ(*ノ▽ノ)
気持ちの上で意欲のアップ&スローを繰り返しながら螺旋状に🌀登り
イマココ…( ̄- ̄)ゞ
巡礼という行動に尊さや質を感じれるようになった。
これは面として目に見えているモノだけではなく、奥行きとして物事の背景を観る(感じる)ことが出来ることかと思う。
奥行きとなる背景にも 正と反が常に反転してレイヤー状にその場面場面ごとに幅となる線を作り出し、物語(因縁)は展開している。
イマココの点から波勢したありのままには意味はないが、祈りの行動が伴うと、とたんに実像展開していく。
日々の生活も祈り
巡礼という動きは濃度をました祈りとして意味をもつ
かしこまった祈りはなくとも
生命が安寧を望むことは祈りである。
しかし、行者はそこにとどまらず
自ら前進するを決めた侍スピリットであれ。
菩薩の意思を聴き実践する
肉体を持った仏
あめつち神々と人間をつなぐ人
そうありたいよね…。
おまけ
反転術式
自己の反省、懺悔は
鏡の法則 相手の中に自分を観る
Ψ3ーΨ4の次元 相手の立場になってみるの先である。
相手の立場になってみる…がなかなか難しい。
仏の行はハイレベルなのです。