書いておいて投稿せずにいた記事です。
AさんとBさんを比べるもんじゃないよ…
(人を比べるな…)と言われて
「へ??」 となった私。
AさんBさんを比べてるんじゃなくて
修験先達基準を照らし合わせているんだよ。
修験先達としての素養(努力)を見ているんだよ。
(個人なりに)
と思いました。
そして、比べることは悪くない
比べてどーするかでしょ。
人間は他者との差を見て自分を創るし、知ることになる。存在している事態で差があるわけです。
この差を縮める努力が必要なのは、基準のある役割を担うとき。
基準のある役割は決められた型である。
この型にそぐわないモノは、その中で差を生む。
(足らなすぎも多すぎてもうまくない)
調和、統合、和合、に成らないといこと。
役割を担ってから自分が苦しむ。
基準のある役になったとて、さらに厳しく型にハマる必要を強いられる事で反抗するのであれば、
いっそのこと、その役を諦めた方がいい。
自分の為にも。
これは、己との戦いなのです。
他者基準があることで価値を作ったこの社会(世界)
他者が認める事で、役を担える。(存在意義)
他者からの担保があって価値になる。
ここが目的な人もいれば 違う人もいる。
他者基準に沿わせる事で人類は種類分け(役割分け)をしている。どこででも。
集団(国、県、町、クラス、職場、部署、チーム、友だち同士どれも)はそうやって、概念や観念をすり合わせ、一定のポテンシャルを維持する。
だから品質が保たれる。
➡️価値がでる。
人間が地球上で、人として生きて、人の役割をなすためのデフォルトシステム。
どこ行っても逃れられない。
回避できるのはこの意味を理解し越えたことのある人だけ。
おまけ
他者と自分を比べて優越するヤツ
マウント気質な人はすぐにわかる。
そこに良い悪いはなく、
どうするかでしょ。
優越したいならしっかり越えてこい。
微量の差をみて
出きる出来ないに一喜一憂するのって疲れないか?
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